読書とカフェの日々

読書感想文と日記

7月11日:日記を書くのがいちばん

日記をサボりすぎた。特に書くこともないから2−3日に一回でいいだろうと思っていたらズルズルと書かなくなった。別に誰に頼まれているわけでもないので、よくないのはその点ではなくて、そもそも書く力と習慣をつけるのと、「書かないで書く」実践の目的だったので、自分のためによくない。ここで日記を書くようになって、この書き方がいちばん考えが自然に出て来てくれるなっていう発見があった。日常に何も書くことがないからこそ、毎日書く行為の中にその日読んだことの感想や考えたことがなんとか形となって目の前に現れてくるのかもしれない。それなのに、毎日は書かないで、そのかわりまとまった書評など数日かけて書いてみようかな、なんて色気を出そうとして、結局なんだ、書けてないじゃん。意気込んじゃダメなんだってば。「書こうとするな、書け」なんだ。なんでもいいんだ。誰も真剣に読んじゃいない。私が後で読んでうふふってなるだけなんだから。とにかくできるだけ毎日だらだらと、1ミリも成長のない文章でも、おんなじこと何回書いてもいいから、またやっていこう。そんなことを思った今日。

そしてサボってた間の読書。買った本読んだ本はそれなりに記録をつけられていると思うけど、いちおう。7月に入ってから読み終わったのは、多和田葉子の『エクソフォニー』Kindle Unlimitedで『大解剖! 文學界新人賞笙野頼子の『説教師カニバットと百人の危ない美女』川上弘美の『蛇を踏む』筒井康隆の『文学部唯野教授』と『文学部唯野教授のサブ・テキスト』岸本佐知子編の『楽しい夜』。今日は泉鏡花の『外科室』を読んだ。昨日から多和田葉子の『百年の散歩』を読んでいる。

相変わらず、言葉と遊んでる。言葉が言葉を読んで呼ばれて言葉と踊るように通りを歩いていく多和田さん。そしてすごく自然体な感じもするので素敵。ナチュラルボーンこういうふうに書いてしまう人なんだろう(芸として磨かれているのは勿論のことだけど)。このような素敵な人に会ってみたいなぁと思う。

もっと小学生みたいに本を読みたいので、何度目かの再開で読書ノートつくろうかなぁ。人に見せるようではないものを。1冊1ページ、タイトルと著者、初出、読み始めた日と読み終わった日、読めなかった漢字とか知らない語彙の抜書き(この辺が小学生)、設定や「ほー」と思ったことのメモ書き、連想したことやなんかを書く。持ち歩けるように、薄っぺらいノートがいいかもしれないなとか。これも気合い入れるとダメだと思うからゆるっとやってみようかな。あまり併読するとたくさん書きたいことがあった本の時に困りそうだけど。

あと今日は野矢茂樹の『まったくゼロからの論理学』も少し読み進めた。逆・裏・対偶。なつかし。法則での言葉いじりもゲーム的で好きだな。言葉をいじること(式変換)がまずあって、そこから意味をじっくり味わう、みたいな。

なんやかんや、まったくまとまりはないけど、とりあえず今日の日記は書けたのでよしとしよう。