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「あの素晴らしき七年」と「クネレルのサマーキャンプ」を読んだ感想

最近の読書。

「あの素晴らしき七年」エトガル・ケレット(新潮クレスト・ブックス)

「クネレルのサマーキャンプ」エトガル・ケレット(河出書房新社

 

ケレットはほんの数ページで独特で奇妙な設定やあたたかみに満ちた皮肉、無頓着で残酷な純真さにほんの一瞬触れさせておいて、次の瞬間にはもう背を向けて歩いて行く。ごく軽やかに。まるで重力なんてないみたいに。そしてほんの一瞬触れたものがいったい何だったのかわからない戸惑いみたいなものを残していく。かといって、わざとらしく難解だったり、ぶっ飛びすぎということもない親しみやすさも好印象だ。


「あの素晴らしき七年」を読んですぐに、エトガル・ケレットを好きな作家リストに入れることに決めた。

「あの素晴らしき七年」は自伝的エッセイで、息子が生まれてから父が亡くなるまでの七年という時間軸に位置づけられている。ちょっとどこまでが本当か疑いたくなる部分もないわけじゃない。それでも概ね許容可能でうまくいった味付けだ。非日常と日常の境目で起きる瑣末ともいえるような出来事は、それを願いすぎているときには絶対に実現しないちょっとした奇跡みたいなものだ。日常の中に隠された奇妙で滑稽で美しい何か。隠し味みたいなその配分は絶妙で、読んでいるうちにエッセイであることを忘れてしまうくらいだ。ケレットの妻の言うところの、「実際の人生をもっと面白い何かに作り直す作家の仕事」が遺憾無く発揮されているといえるだろう。

 

そんなノンフィクション版のケレットの掌篇集の中で、 

3歳の息子レヴが18歳になったときに兵役に就かせるかどうかを夫婦で話し合う「公園の遊び場での対決」

ケレットとレヴとタクシーの運転手が張り詰めた綱を何とか渡りきるようなスリリングさ溢れる「おじさんはなんて言う?」

アングリーバードの面白さの隠された核心を抉り出す「鳥の目で見る」

ケレットの父の「人生の愛し方」にちょっとびっくりするくらい感動した「打ちのめされても」

ポーランドの建物の隙間に建築された細長い「ケレット・ハウス(DOM KERET)」で時を超えて思いを馳せる「ジャム」

このあたりが特に気に入った。本書は装丁も意味深でオシャレで素晴らしい。

 

「クネレルのサマーキャンプ」のほうは、表題の中編を含むケレットの初期・中期の作品集から訳者が選出した31篇からなり、作品集ごとに時系列を遡るように配置されている。表題作の「クネレルのサマーキャンプ」は、自殺者だけがたどり着く死後の世界でかつての恋人を探す死者版のロードムービーだ。この表題作をはじめとして、全篇を通して「死」の雰囲気が漂っているが、そこに過度な湿っぽさや重苦しさはなく、適度に軽く、乾いていて、ふざけていて、奇妙で、少し悲しくて、あたたかい。

 

こちらの31篇の中では、

美しい彼女が夜になると毛深くて猪首の太った小男になる「でぶっちょ」

借金の差し押さえがマジックの舞台と化す「アブラム・カダブラム」

子どもならではの字義通り性で憎しみを超えていく「靴」

出口のない閉塞感に希望を見出だす「パイプ」

が特に気に入った。

ちなみに、「パイプ」はケレットが兵役についていた頃に書かれた最初の掌篇で、執筆時のエピソードは「あの素晴らしき七年」で読むことができる。