読書とカフェの日々

読書感想文と日記

「ゆるくても続く 知の整理術」を読んで考えたこと

本日の読書。

「ゆるくても続く 知の整理術」pha(だいわ文庫)

 

知ることは楽しい。「なぜだろう」「どうなっているんだろう」という疑問に、ひとすじの光がみえるだけでも心がときめく。

読書のよろこびの大きな要素は、今まで見えなかったものが見えるようになることなのだと思う。それはほとんどそれまでは存在しなかったモノの発見だ。世界に新たな次元や色彩が加わるっていうこと。

だから基本的に、勉強することは好きだ。得点を稼ぐための勉強ですら、嫌いではない。ただ、漫然と好奇心を追い求めたり、必要に迫られてインプットしているだけでは、その情報は自分のものになりにくいのも事実だ。感動する瞬間を一瞬の輝きで終わらせたくない。

そんな気持ちで本書を手に取った。「しないことリスト」に続いてphaさんを読むのは本書が二作目となる。

個人的関心に焦点を当て、序章の「メソッド2:書くと進む」と「第2章:頭を整理するアウトプット技術」あたりを読みながら、「書くことについて」考えたことをまとめていきたいと思う。

 

書くと進む 

本を読んでいて頭がフル回転する場面は、

①本の世界に没入しているとき

②自分の頭の中に没入しているときある概念の具体例を考えたり、逆に具体的記述を抽象化したり、既知の情報を関連付けたり、全然別のことを考えていたりするとき。

この二つに大きく分けられるのではないかと思う。

没入体験にはカタルシス効果があると思うし、新しい知識や概念が、既知のネットワークにうまく組み込まれていく感覚がとても好きだ。

そのときの着想や思考を、なんとか捕まえて残しておきたいと思うのだけど、なんとなく輪郭を与えられないまま蒸発してしまうことが多い。

國分功一郎「哲学の先生と人生の話をしよう」(朝日新聞出版)の中で、悩みや考えを言葉にすることを「観念の物質化」と表現している。

心理学の世界でも、言葉にしたり、書き出したりすることを問題の)外在化」と言ったりする。言葉にして、頭の中から出してあげることで、ソレの中でもがくのではなく、ソレを対象化し、外側から眺めることが可能になるのだ。考えは言葉にして取り出せば、扱いやすくなる。

 

本書では、こういったことを「アナログで連続的な世界を言葉でデジタル化する行為」と説明している。言葉というのは、この複雑すぎる世界を把握するためのものでもある。

この表現はわかりやすいだけでなく正確なものだ。理解しやすい形に変換することで情報は純化され、意味や可能性は限定される。特定のフィルターを通して情報をふるいにかけることで、別の見方が難しくなる。

言葉にすることで情報が損なわれるという現象は、「言語隠蔽効果」として知られている。様々な経験を言葉で詳細に描写するときに記憶が損なわれることを示す研究報告がある。ある実験では、提示された顔写真を言葉で詳細に描写した被験者は、そうでない被験者よりも、同じ顔を写した別の写真を認識する成績が低下した。

(参考)ミラーニューロンの発見」マルコ・イアコボーニ(ハヤカワ文庫NF)

生のデータや直接の経験の全てを言語化することの限界とリスクをわきまえておくことも重要かもしれない。

 

書くと終わる

他人にわかるように説明することで、自分の理解も深まる。人に教えようと思ったら、順序良く情報を整理したり、理解の曖昧な部分を確かめることが必要だからだ。書くことや人に伝えることは新しい知識を自分の中で消化する行為だから、言葉として整理されたということは、消化が終わったということを意味する。考えは考えのままにしておくと、堂々巡りになりやすい。はっきりした輪郭がないぶん、頭の中でモヤモヤと漂わせ続けていると健康にも良くない。感じたことや考えたことにカタチを与える(物質化する)ことで、知識は消化され、気持ちも楽になる可能性があるのだ。

何かに行き詰まりを感じたら、とりあえず言葉にしてみよう。

”何が問題か言葉にできたら、もう半分は解決したようなものだ” 

言葉で表現することの難しさに挑戦していこう。はじめは難しいと感じたとしても、繰り返し練習すれば上達するはずだ。とりあえず、ブログを書き続けてみようと思う。