読書とカフェの日々

読書感想文と日記

9月6日:廃馬を撃つのはやさしさか

嫌な夢を見た。なぜか雷についての蘊蓄(口から出まかせ)を言って、特に周囲から突っ込まれてはいないけど、自分の中で嘘ばっか言ってしまったことを悶々とする、みたいな夢。夢でよかった〜。リアルにやりかねない感じで怖い。YouTubeでメンタリストDaiGoの動画見てから寝たのが良くなかったんだろうか(絶対そうだろ)。起き抜けの身体の重さがすごい。そういう時は体重も実際に思い。体重やばいのどうにかしてほしい、自分。ほんとぅに、本式に、酒を断とうかなあ。昨日も少し飲んでしまった。串鳥では烏龍茶飲んでたのに、帰ってきて寝る前に焼酎ストレートで2杯。とにかく、今日以降9月は自宅禁酒遵守で行こう。土日であっても。引き続き、外ではOKにしよう。他人と話したい。

終業後、ホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』を読んだ。

いろんなところ(どこかは忘れたが)で引用されていてなんだか記憶に残っていた作品で、タイトルもかっこいい。彼らとは誰か、廃馬とはなんの隠喩かと興味をそそるし、原題(They Shoot Horses, Don't They?)とも遠からず。大恐慌時代のハリウッドでエキストラの仕事にあぶれた監督志望の青年(主人公)が撮影所の付近で出会った女優志望のグロリアに誘われて彼女のパートナーとしてマラソン・ダンスに出場する。〈被告は起立しなさい〉という判事の声掛けから小説が始まり、言い渡される判決文の間に主人公の回想が挿入され、グロリアを撃つことになるまでの顛末が明らかにされるという構成。訳者のあとがきによると、マラソン・ダンスは実際に1920年代のアメリカを特徴づける娯楽であった。〈一九二三年にニューヨークのある新聞は、「これまでに生まれた、気ちがいじみた競争のなかでも、ダンシング・マラソンはその狂気の沙汰という点でほかの競技をしのいでいる」と伝えている。〉本作のコンテストでは、1時間50分踊って、10分間の休憩を繰り返すという過酷さ。
文章について、特に序盤の会話文がこなれていないというか、日本語として噛み合っているように思えず、訳はこれでOKなのか??と心配になったけど、後半は問題なく読めた。主人公が自分自身に語りかける内言は会話と区別した区切り符号を使ってほしいと思ったけど、原文の尊重かもしれないからなんともいえない。文体や描写の魅力なのか欠点なのか、時間経過による人の狂いの表現は薄い。もともとハードで問題のある人物なのか、コンテストが続いておかしくなってきたのかがいまいち読み取れない。主人公もまわりもどんどんおかしくなってくる展開がはっきりしていたほうが個人的には楽しめたかも。そして主人公もヒロインのグロリアもある意味変化しない。だけどそれらが決定的にドライでかっこよくもある。(回想パートの)最後の一文が決まりすぎてて憎い。ハードボイルドどころか、フランスで実存主義文学の元祖として高評価されたというのもなんだか納得できる。カミュの『異邦人』との類似点も指摘されている(『廃馬』の方が少し先に刊行されている)が、理由がちゃんと書いてあるので不条理感は薄い。
翻って、現実のマラソン・ダンスについては、コンテストが続くに従い、出場者の行動がおかしくなることも興行の目玉だったようだ。パートナー同士が眠ってしまわないようにお互いを痛めつけ合い、憎しみ合うようになり、睡眠の剥奪によって幻覚状態に陥ったりする…現代では倫理的に絶対にアウト、あまり無理すると死んだり後遺症が残ったりしそう… 見たいような、見たくないような。本作、映画化もされていて(邦題が『ひとりぼっちの青春』なんだそりゃ)、ちょっと観てみたい。