読書とカフェの日々

読書感想文と日記

5月10日:町田康「きれぎれ」

今日は元気に働いたなぁ。エナジー

今日読んだのは町田康の「きれぎれ」。芥川賞受賞作。

町田康の作品の中でもかなり賛否分かれていそう。芥川賞は「くっすん大黒」で取らせておけばよかったのにという意見もちらほら。今日読み返してみて、あれこんな話だっけ、というか、話の筋がよくわかんない。虚実がきれぎれになっているのだろうか。現実がどこか破れている。

自宅で見苦しいことになってしまった妻の姿を眺めながらの夢想。主人公が教養と自意識だけが無駄に高いダメなやつで、これはいつもの町田康的主人公人格の感じで徹底的に間合いがずれている。親の金で放蕩三昧。労働の拒否。趣味はランパブ通い。ランパブの描写が実に良い。ぬらぬら部長がカラオケで歌った「芸術のためであれば配偶者がどんな悲惨な目にあっても自分は気にしないし、配偶者もそれを承知で自分と婚姻関係を結んだのであって、さらに、自分の芸術が発展するためには、配偶者が嫌がるような浪費や放蕩はこれを進んでやるべきであり、自分は今後もそういうことを断固やっていこうと思う、という意味の歌」は「浪花恋しぐれ」なのかな。

youtu.be

気まずいような状況の描写と言葉のきらめきが眩しい。
ランパブ代金と引き換えに、親のセッティングした見合い。見合いの席で無茶苦茶やってぶち毀し、後日その見合い相手がかつて見下していて今は成功した同級生画家の吉原と結婚。嫉妬羨望。吉原の公募展授賞式の様子がまた良い。夫婦者のような男女の詩の朗読と和太鼓の演奏。

私は心の亀
孤独な心の亀
ヤクーツクの空
鈍色の空の下
ツンドラに鶴が立っている

訳が分からない。滑稽である。見苦しい。気味が悪い。ぜひ実演してほしい。
一方実家は廃業して母が死に通夜。このシーンも実に良い。弔問客からの視線が辛く母の死の実感が薄れていく。「ママンが死んだ」と呟きながら批判混じり悔やみ文(語感が最高)の集中豪雨を避けて、ミルクコーヒーではなく清酒を飲む。母の会社の元従業員から「立ち去れ部外者」と罵られる主人公。一言も。ねぇ。
いよいよ空間に穴が開いて現実と夢想の配分が逆転してくる。

町田康作品は話の展開、筋というものが基本的には取りにくい。オチがあるわけでもないし、主人公の人格もほぼ同一で、作品がごっちゃになりやすい感じがする。パッチワークが一枚でも二枚でも同じというか。ばらばらにして繋ぎあわせても基本的には支障ないというか。AIで学習させて一塊になっている部分をいろいろに組み合わせたら作品を増殖できるんではないかとか思ってしまった。明日はきれぎれに収蔵されてるもう一つの作品「人間の聖」を読み返してみよう。

ああもうこんな時間だ。急いで寝ないといけない。それではおやすみなさい。