読書とカフェの日々

読書感想文と日記

5月11日:町田康「人間の聖」

大変に眠い。毎日とりあえず眠い。ああもう書くことが今日は本当に思いつかない。日記なのに純粋の日記は書けないし。日記が書けないのにどうして日記を書こうとか思ったのでしょうか。ここは毎日書くという意味で日記としたい。日々にあったことを素直に書くのではなく。出来事ベースは書けないし書けたとしてもあんま面白くもないし、ね。そういうことにしよう。方針が決まった。良かった。

理想は随筆。エッセイ。オチがあると最高。でもそれは毎日というのはどう考えても無理のある話なので、毎日何かしら短編などを読んでそれについて徒然と書くというのはどうでしょうか。本の内容でも良いし、感想でも良いし、そこから連想・発展させることもまたよろし。今日もその線で行こうと思って、いちおう読むことは読んだのですよ。町田康「きれぎれ」に収載の「人間の聖」を読みました。きれぎれに負けないくらい訳が分からない。あまりにアレだとコメントのしようがないような感じ。だから困った。眠いのに。内容としてはオムニバス的などうしようもないエピソードがいくつかあって。何人かの登場人物が陰に陽に緩く繋がっているような繋がっていないような世界。きれぎれ世界ともリンクがある。どこかが断絶していて、でもちょっと繋がっていて、辻褄は合わないという気持ち悪い感じを味わう作品なのかもしれない。無理に考えるとそんな感じ。今この日記もすごく町田康の文体の影響が出ちゃっていると思うんだけど、癖がやっぱり強いから。それにしても素面でこのような文章が描けるのだろうか。飲酒をやめたのが10年くらい前のようなので、素面ではなかったのだろうが文字通りの意味ではなく、なんかやっている(た)のだろうか。だから少なくとも飲酒をやっていなくても書けているところを見ると、ちょっとやりすぎていたところもあったのでしょうかね。

正面から読めないときはノリで読む。意味を振り切る。言葉とリズムを楽しむ。そんな読み方もあり。どんなふうに読んでもいい。別に誰も怒らん。読書は自由。いろいろな楽しみ方にOKを出す。わからないのに楽しめた自分に満足する。

そして寝る。