読書とカフェの日々

読書感想文と日記

我が愛しの。

岸本佐知子のことを。
岸本佐知子は、個性的な作家の声を届けてくれることで人気の翻訳家だ。
私は昨年にジャネット・ウィンターソンのオレンジだけが果物じゃないで出会って完全にやられてしまった。

作品が面白かったのはもちろん、訳者あとがきが素晴らしかった。翻訳家ほどひとつの作品を読み込むことってないのかもしれないと思う。読み込みの深さと精度、作者研究の切れ味に感激してしまって、以来毎月少しずつ岸本訳作品を読み続けている。素晴らしい仕事をたくさんされてきているので、まだまだ読む楽しみの尽きる心配はない。だけどもっと知りたいの佐知子のこと。このように思う読者は前にも沢山いたんだろう。そして後を絶たないのであろう。岸本佐知子は雑誌ちくまでの連載をはじめとして、エッセイの面白さにも定評がある(「ねにもつタイプ」では講談社エッセイ賞を受賞)。昨年文庫化された「ひみつのしつもん」も文庫のランキングで何度も目にしていたし、小さな書店でも平積みの状態であったのが記憶に新しい。

しかし、あえて言いたい。岸本佐知子のエッセイを読む際には細心の注意が必要だと。一流のワードセンスと計算ずくの緩急の予測不能さで切り込んでくるぞ。ぼーっとしていてはいけない。結末を予想できるなんて思ってもいけない。罠が仕掛けてあるんだ。それも見たことのないような独特なやつなんだ。うっかり乗せられると知らぬ間に虚構に迷い込んでいる。舵はどこで切られたのか。もはやエッセイを読んでいるのか短編集を読んでいるのか、わからなくなる。

初期のエッセイは昔話が多くて、よくそんな細かいこと覚えているなそしてよくそれを書こうと思ったなと感心すると同時に、老人なのかなって思って読んでいたんだけど、WEBのインタビュー記事を読んだところ、エッセイを書き始めて10年くらいは会社員時代の面白かったことや子ども時代の出来事を思い出して書いていて、翻訳の仕事を始めると家の中で引きこもるのでだんだん半径1メートルくらいの出来事を書くことが増えてきたと書いてあってなんだか納得した。子ども時代からはみ出した感性。長じてなお。半径1メートルの外に妄想と虚構の深淵。

それではここいらで個人的に好きな短編(じゃない)を紹介してみようかしら。

「ねにもつタイプ」より「ピクニックじゃない」
悲しい気分の時に小声で歌う「ピクニック」の替え歌の馬鹿馬鹿しさ。

丘を越えない 行かない 口笛吹かない
空は澄まない 青空じゃない 牧場をささない
《略》
ララララあひるさん(いない)
ララララララやぎさんも(いない)

ツクツクボウシ
翻訳の仕事中にツクツクボウシの鳴き声が気になって頭の中で鳴き声の校正をはじめたり、ふと全身でブラウン運動を表現してコーヒーをこぼし、分子の集散離合について思いを馳せ、「この部屋の中にも三年前にアマゾンの猿の肺の中で隣り合わせた酸素の分子どうしとかが再開を果たしているのかも」とか考えながら、感動の再会を阻止するべく手刀であたりの空気をシュッと切る。我を忘れて1年が過ぎ去る。

「なんらかの事情」では「物言う物」のトイレのくだりで爆笑。

「このトイレは、自動水洗です」
驚いた。便器に話しかけられることは、まったく想定していなかった。この先、さらに何か言うつもりだろうか。いろいろ指図したり感想を述べたりするのだろうか。そう考えだすと恐ろしくなり、何もしないで出てきてしまった。

また別の時には、トイレの「カルミック」を応援したい気持ちを抑えようと努力する(岸本佐知子の特殊能力のひとつに応援したものが姿を消すというのがある)。最近のプラスティック容器のものではなく、銀色の金属製のカルミックだ。きっと応援してしまったのだろう。とんと見かけない。

「海ほたる」では古いカーナビのナビゲーションについて妄想を膨らませて、脳内でカーナビに〈三里先、関所です〉とか言わせたりして最後は軽くホラーで締める。

「ひみつのしつもん」からは「地獄」がお気に入った。会社員時代のしょうもないような思い出話。何もかもを二回言わなければならないループから抜けられない。うっとおしいけど、やめられない。

「洗濯日和」ではベランダで物干し竿を落とした衝撃で先端のキャップ状のものが割れ、物干し竿の中からドロドロの液体が流れ出したときに意識が私と物干し竿とドロドロの液体に分裂してしまう。何を言っているかわかりますか。こればかりは「なんかわかるー」とはならんかった。すごい。

「気になる部分」(年代的にはこれが一番古い)では「オオカミなんかこわくない」がとても怖かった。ぎゃあ。これは本当に気をつけて読んでください。ちゃんと警告したからね。

こちらには好きな作家や作品についても少し書いてあって、これがきっかけで町田康「くっすん大黒」を読んだんだけど、まんまと町田康にもハマってしまった。

翻訳作品が面白いのも、エッセイが面白いのも良いのだけど、その上に紹介した作品まで必ず面白いのは如何ともし難い。書店で「岸本佐知子さん推薦!」とか書いてある帯を見ると、「うっ、この作家も読まなくてはいけないのかっっ」と読みたい本が無限に増殖してしまって積読が収集つかなくなる(この現象は佐知子に限らず多々あるが)。誰が責任を取ってくれるんだろう。佐知子だろうか。作品の面白さに免じ、ということだろうか。

世の中に書籍が溢れすぎていて人生の短さに泣きたくなるような気持ちになる。だからいつも大急ぎで読書。でも何度だって本当は読みたい。そして面白さや魅力を咀嚼して、自分なりに言葉に変えてみたいと思っている。今度も十分にはできなかった。読みたい本がありすぎるから。

そしてまた出るようだ。今度は白水社から。タイトルは「わからない」。5月26日発売だそうです。もう読みたい。そして色々な意味で苦しむ私の未来も既に見えている。

【私がこれまでに読んだ岸本佐知子訳作品】
・ジャネットウィンターソン「オレンジだけが果物じゃない」「灯台守の話」
・ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引書」「すべての月、すべての年」
・ジョージ・ソーンダーズ「十二月の十日」「短くて恐ろしいフィルの時代」
リディア・デイヴィス「ほとんど記憶のない女」
・ショーン・タン「セミ」「内なる町から来た話」
・アンソロジーの「変愛小説集」「コドモノセカイ」
【エッセイ集】
・ちくまの連載から「ねにもつタイプ」「なんらかの事情」「ひみつのしつもん」
・「気になる部分」
積読
ニコルソン・ベイカー「中二階」※読書中
ミランダ・ジュライ「最初の悪い男」※早く読みたい
・アンソロジー「変愛小説集2」、「変愛小説集日本作家編」※早く読みたい
・エッセイ「死ぬまでに行きたい海」※早く読みたい