読書とカフェの日々

読書感想文と日記

6月2日

今日も特に予定のない休日。誰との約束もない。同居人はお友達に誘われてサイクリングに出かけて行った。今日は何をしたいか書き出してみる朝。読書して、少し部屋を片付ける。シャワーに入り、身支度をして。お昼は家で食べよう。カフェギャラリーで今日が最後の個展を見たい。創作とペストのまとめと、5月に読んだ本のまとめを書くのもしたいことに書いたけど、結局後回しになってできかなった。考えないでもできることばかりしてしまう。したいことなのに、なんだかしたくない。

お昼ご飯を食べながら数日前の会話というか出来事をぼんやりと思い出していた。あまり知りたくなかった人の噂というか過去について。脳内ファンタジーに耳からリアルが流し込まれる感じ。なんでそんなこと知ってるんだろう。そしてどうして私に言うんだろう。知ってしまうと、気になってしまう。それで積極的に詮索してどうしようもない気持ちになったりしそうで。そもそもが、私が色々なことに免疫がなさすぎて、すぐにときめいたりガッカリしたりしてしまうから良くない。だからまずは、いろんな物や人との出会いをもっと広げていく。付き合っていく。まずはそこからじゃないか? 核心をはぐらかして、とりあえずの逃げ道を打算的に考えた。

シーツを変えたり、ベランダに出て途方にくれたりして(砂と枯葉がすごい)、とりあえず外出。今日のカフェは2回目の訪問。カフェオレ飲みながら、今日の読書。岸政彦『断片的なものの社会学。先日読書会で教えてもらったbiblogというアプリを使いながら読んでみる。

biblogは、あなたが心動かされた言葉を保存するための、「言葉のコレクションアプリ」です。

とても便利。この文章いいなってところをカメラで撮ってテキストを抽出して保存するだけなんだけど、本の登録もバーコードでできるし、機能もデザインもシンプルでとてもいいな。

ギャラリーの展示もよかった。最終日でアーチストの方の友人知人が引もきらずやってきていて、カフェオレ飲んだ後になんかグッズが欲しかったんだけど、自分を強く押し出せず、退場。

中島公園を歩いて行って、幌平橋駅近くのカフェで続きを読んだ。そのまま帰るか、ちょっと本屋に寄るか迷ったんだけど(昨日も本屋2軒行って4冊買っているし)、やっぱ香山哲『プロジェクト発酵記』が気になってしまってジュンク堂へ。ついでに何か買おうなんて思うなんていけないわとか思っても足が勝手にハヤカワ文庫からの新潮クレストの棚に私を連れていくので、もう勝手におし。というわけで気づいたらミランダ・ジュライいちばんここに似合う人を買っている。もう仕方ないわね。

帰宅してご飯を食べて、町田康『しらふで生きる』を読みはじめたところ、睡魔が。昨日と同じパターンじゃないか。『しらふで生きる』には何か催眠効果があるのだろうか。アルコールを控えたい気持ちと、町田康も飲まないでいられたんだからという気持ちと、それでもやっぱり飲みたいのを我慢しているからこのような本を食後に読んでいるのではないかという気持ちで脳が疲れるんでしょうかね。このままではいかんと思い直して、買ってきた『プロジェクト発酵記』を読みはじめた。最近創作にまつわるものを読みたくなりがちだけど、創作したいなら創作すればいいのに、こういう回りくどいことをしてしまうのがダメなところ。失敗してもうまくいかなくても誰も怒ったりガッカリしたりしないしそもそも何も期待されてないんだからもう自由に勝手にやりなさいと。んでも別に読みたいもの読んでもいいじゃない。今すぐに取り掛かるのに気が進まないんならちょっと置いておいてもいいじゃないという気持ちもあって、人生は単純でいいものを複雑にしてしまう葛藤の罠だわな。ちょっと半覚半眠の意識状態で何を言っているのかわからなくなってきたので、今日はこの辺で。