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読書記録:多和田葉子『星に仄めかされて』

多和田葉子の『星に仄めかされて』を読んだ。

本書は長編三部作の第二部で、『地球にちりばめられて』の続編となる。
第一部では留学中に故郷の島国が消滅してしまったHirukoの母語を巡る旅が始まった。Hirukoはスカンジナビアを流浪する中で独自の言語「パンスカ」をつくり出す。パンスカはHirukoの経験や生活を反映しながら移りゆく生きている言語だ。パンスカに興味を持った言語学者のクヌート、旅の途中で出会った性の引越し中のアカッシュウマミ・フェスティバルの企画者のノラナヌーク(テンゾ)、Hirukoの母語を巡る旅の乗客が次第に増えていく。ついに消滅した母国出身であるというSusanooを見つけ出すが、彼は言葉を発することができなかった。多声による語りと共に物語は豊かになり、それぞれの流れが合流して大きくうねる流れになって河口へと向かう。

第二部となる本作でも多声の語りの構成は変わらないが、前作では時間と空間の流れを経時的に語り継いでいたのに対して、今作では同じ時空をそれぞれの視点で切り取るかのような構成になっている。また、前作が分かり合える瞬間と他言語への翻訳可能性のようなものを描き出している(それらの隙間を遊び倒すかのような細部が非常に魅力的で言語中枢を鷲掴まれた)としたら、今作では沈黙に言葉を与えようとすることや読解不能を描き出そうとしているように思えた。新たな登場人物のムンンがこの物語を読み解く鍵を握っている。ムンンは象徴的なアウトサイダーの存在として描かれていて、文字は読めないが、色々なものが読める。というか読めてしまう。だからムンンの語りで描かれていることが現実とは限らない(むしろ真実を反映させようとした描写であるのだが)という仕組みに注意して読んでいかないと物語の中で迷子になってしまうかもしれない(私はなった)。そしてもう一つのテーマが「役割」だ。自分の役はこうと信じ込んでしまうこと、自分らしさという囚われ。我執。誘われて、連れ出されて、交換して、自分の役割の外に出てみること、自分をなくすということの風通しの良さ。

印象に残った登場人物(ノラ)のセリフを引用する。

「旅している時って、無責任で楽しい。海の色は私が決めるわけじゃないから驚きの連続ね。家の壁の色は私がカタログと何時間も睨めっこして決めたから自分の人格がそのまま写されているみたいで息苦しいけれど、海の色には私がいない。それが清々しく感じられるから不思議。」(太字は私による)

他者と繋がりながら、自分自身を越境させていくこと、傷つきの中にあってもお互いの手を取りあえること。旅の終わりに「故郷」そして「母語」という言葉が包含する意味が変わってくるのではないかと予感させる。そして第二部の終わりに、物語の大河はついに海へと流れ出ていく。

今作は神話的なメタファーの色彩も濃くて、全編通して謎かけのような描かれ方をしているので、「こういうエピソード」としてまとめることは難しいし、あまり意味もなさないのではないかと思う。完結編でこの謎かけにも決着をつけてくれることを期待。