読書とカフェの日々

読書感想文と日記

5月27日:岸本佐知子からの岸本佐知子

月曜日。昨日最後の短編の終盤で寝落ちした『変愛小説集 日本作家編』を出勤前に読了。面白かったあ。編者あとがきを読んで『群像』のバックナンバー(古本)を1円で即ポチり。これは感想文を書かなきゃあ。『群像』をポチった後は、やっぱり岸本佐知子の新刊『わからない』を読みはじめる。

こっ、これはっ。岸本佐知子四半世紀分のネタ帳じゃないのですか?? 他で読んだ話の別バージョンみたいな小さなエッセイとか、書評とか!(まだそのコーナーまで辿り着いていないけど)、日記とか! あああ。大変なことになってしまう。読みたい本がまた増えちゃう気がする。と言うかそんな気しかしない! 困る。困る。そして面白すぎる。

キリスト教系の学校に通っていた女子高生時代の聖書ネタが秀逸。

冗談を言ったあと、聞く耳のある者は聞くがよい」と締めくくった。「廊下に二百デナリ落とした人!」などと言った。

加齢臭や垢について随想し、

もともと私は垢が人よりたくさん出る方だ。比べたわけではないが、きっとそんな気がする。もし用意ドンでみんな一斉にホームレスになったとしたら、誰よりも早くホームレスらしくなる自信がある。

その言説は大丈夫なのか…

人々がなすすべもなく右往左往する映画が好きと公言し、

なぜこんなに好きなのかといえば、私にとって生きることとは「何かわからないことが襲ってきて右往左往すること」の連続であって、しかもそれを倒してくれるヒーローも軍もいない。だから私は他の人々も自分みたいに等しく右往左往するのを見て、こんなにも安らかな気持ちになれるのかもしれない。

ときたもんだ。いや。その気持ちは、多分結構わかる。ロングショットで見なくても一生ドタバタしてる。こちとら必死なのにただのコントにしか見えないのが悔しい。

今日読んだ範囲では、ダーニング(繕うことの意で、刺繍糸などで布を補強して装飾も兼ねる手芸の技法)にはまりひたすらに布を繕って仕事に穴を開け、いつしか壮大な話になっていくエッセイ(危険なキノコ)が好きだ。

続きが早く読みたくてソワソワしていたのに、帰宅して読書感想文などを書いていたら2時間も経過してしまった。ううう。寝るまで続きを読もう。日記も書きたい、感想文も書きたいけど、やっぱり本が読みたい!

読書以外の日記らしい内容が寂しいことに今気づいたので、一言だけ。さっきコップを落として割ってしまいました。マンガみたいに手が滑った。悲しい。綺麗に二つに割れて、破片があまり出なかったのが救いです。

ではまた。