読書とカフェの日々

読書感想文と日記

6月21日:町田康『夫婦茶碗』

今週も1週間、せーのっ、お疲れ様でしたぁ。てなことでどこぞのYouTuber鹿の間ちゃんの挨拶をパクりながらの、明日は休みであるからして、私は社交に出かけた。今週もよく頑張った私への慰労も含め、来週末の読書会の参加表明もしたかったので出かけてきて今帰ってきたよー。今回もなんだかんだ麗しい若者との会話を楽しんできた。なんなの、麗しすぎた。キラキラかよ。眩しい。若い男の子と話して嬉しそうなおばさんと思われても、もはや私が楽しければ良くないですか?? 非常に良い時間でした。いつも感謝。

さて。読書の方は、町田康の『夫婦茶碗を読み終わりそうなので、ちょっと失礼して読み終わってきます。と、ここまで書いた後で力尽きた形跡。覚醒して後、しかと読了。

町田康の2作目で個人的胸熱ポイントは筒井康隆の解説‼︎ デビュー作『くっすん大黒』筒井康隆の絶賛もあえなく三島由紀夫文学賞を逃し(芥川賞も候補作止まりだった)、なんとかこの作品を称揚せんとその年に筒井康隆がひとり選考委員であったBunkamura ドゥマゴ文学賞に選出するほど、筒井康隆町田康のことを認めていて、それは自分と似たところがあるからであると解説で言い切っている。こういうところがずるいほどかっこいいんだよ。これまでいくつか読んだ解説の中でも、衒学的・形而上学的に逃げ込まずに、シンプルでいてそれだからこそ無理のない構造的理解の枠組みを示していて、読後に読むものとしても優れている(偉そうに言うな!あたりまえじゃん。筒井康隆だよ?とセルフツッコミを入れておく)。こんなに腑落ちする解説がかつてあったろうか、これ以降にもあるのだろうか。作品の方に触れずに解説ばかり賞賛してしまうが、解説が作品の素晴らしさ楽しさを解説しきってしまっているので致し方ない。私のせいではない。曰く、町田康作品とは高度に屈折し転回し続ける知性による思考実験小説なのである。無濾過無加工のままに自意識による検閲を突き放した思考のエビアンなのである(これは私が勝手に追加した文言であるがもしかしたら誰かが先に言ったのをパクってしまっているのではないかという疑惑が噴出している)。そして本作はそういう思考実験に適した主人公の設定、かつその主人公=語り手=作者の構図を生かし、「信頼できない語り手」を「信頼できない作者」にまで飛翔させ、「断固としていい加減になろうと決意したいい加減さ」と無駄に強固で徹底した「下降への意志」の両輪で疾駆していくのだ。堕落の美学。行きすぎてむしろメルヘン。

町田康は少しずつでもローリングしていこうと思っているので、その解説にも注目して今後も読み進めていこうと思う。

やや頭痛が残るが今日も楽しんでこう。