読書とカフェの日々

読書感想文と日記

6月19日と20日

はい。最近2日に一度の日記です。いつも通りの理由で昨日は日記が書けず。1日おきに非常によく寝ておるわけで、今日はもう少し起きていられる方の日です。ひつこいようだけど、よく寝た日はお肌がぷるぷる。眠気は尋常ではなくて、強制終了的に1日が終わってしまうのだけど、肌が良くなるなら悪いことばかりでもないな。自ずと禁酒、あるいは節酒に繋がるし。今日は今週でいちばん気が重かったワンツーイベンツが終わって上半身が軽くなった。とりあえずもう今週は心配したり悩んだりすることはないのことよろし。嫌なことは不意打ちでくるかもしれないけど、今から気にしないこと!

それで、最近何を読んでいたかというのをあまり書けていなかったので、何を読んでいたか思い出し中。読書メーターでチェック中。ううんと、ミランダ・ジュライは書いたのか、その後で、筒井康隆の『エロチック街道』を読んで、昨日読み終わった。並行してKindle Unlimitedでミニマリストしぶの『手放す練習』を斜め読みして、そのあとでKindle Unlimitedで高橋源一郎の『「読む」ってどんなこと?』を読んだ。その後で、今日から町田康の『夫婦茶碗を読みはじめていて、そしてそれら全てと並行して多和田葉子の『星に仄めかされて』の2周目をしている。我ながら慌ただしいことであるな。どうも入っていけない感じでなんか最近嫌だなーとか思ってたけど、割と読んでおるな。こんだけ読んでいればまあいいか。刺されば2周読むし、だいたいの雰囲気でまた今度読みたくなるものもあるだろう。それらの中では、やっぱ高橋源ちゃんさんかなー。

NHK出版のムック本で普通に買っても700円くらいの冊子なんだけど(Kindleだと安い、先日は250円だったけど今見たら500円くらいになってた)、これが内容充実していて、すごく勉強になったなあ。学校教育の賜物で、文字は読めてるとは思うのだけど、物語の読み方って特別に意識したり自分がどのように読んでいるかなんてあまり、というか全然、わかってなかったのかもしれない。そもそも受験科目でいちばんダメだったのが現代文だったしなあ。小学校で実はこんなことを教えてもらっていたのかなあ。
例えば、

「お話の 中に 出て くる 人物は、お話の はじめの ときの ようすから、大きく かわる ことが あります。それが、お話の おもしろさに つながります。(略)」(二年・下)

こんなことを私も、ほんとうに二年・下で教わっていたのかしらん。そして妙に気になるこの分かち書き
それから、

「表現のくふうを見つける
 物語には、さまざまな表現のくふうがあります。おもしろいと思った表現やくふうされていると思った表現をさがし、その効果を考えながら読みましょう。より深く物語を楽しむことができます。次のような点に気をつけてさがしてみましょう。
・題名の意味
・二つの意味を持つ言葉や表現
・様子を表す言葉
・色さいを表す言葉
・たとえを使った言葉
・同じ言葉や文のくり返し
・物語のしかけ」(五年)

高度やん。小学校で教えてもらえるらしいこれらのことを愚直にやるだけでもとてもすごく読書体験が広がってしまいそうやん。素敵やん。
そして実はここからが本書の本題部分で、学校で習った「読む」では「読めない」ものが出てきてしまいますよ、何が起きているか見て行きましょうということで、第1章に当たる〈1時間目〉以降に実践編として学校では教えないような文章をどう読みましょうかとか、良い文章ってどういうものをいうのでしょうかということを考えていく構成になっている。そして1時間目はオノ・ヨーコなんだよ!

「想像しなさい。
千の太陽が
いっぺんに空にあるところを。
1時間かがやかせなさい。
それから少しずつ太陽たちを空に溶けこませなさい。
ツナ・サンドウィッチをひとつ作り
食べなさい」

とか書いてある『グレープ・フルーツ・ジュース』が登場してしまうのだ。

3時間目は(絶対に)学校では教えない文章を読み、4時間目は(たぶん)学校では教えない文章を読んでいく。中身は是非実際に読んでほしいのだけど(感想の放棄)、1時間目のオノ・ヨーコ然り、教材として使用されている作品も魅力的で一部だけじゃなくて自分で全部読んでみたくなってしまったのだった。

特にこれとか。