読書とカフェの日々

読書感想文と日記

4月23日

昨日あんなに眠かったのに寝付けず。やっとウトウトしてたところをパートナーに起こされたので諦めて布団から出て千葉雅也ほか著の「ライティングの哲学」を読みはじめた。

「書けない悩みのための執筆論」っていうのが気になって去年あたりから読んでみたかったんだけど、良いよこれ。面白いことたくさん書いてあった(まだ読み終わってはいないんだけど)。4人の著者らによる書けない悩みについての「座談会その1」、その2年後の執筆術の変化を書き下ろした「執筆実践」、それぞれの原稿を読み合っての「座談会その2」の3部構成。「座談会その1」では書くためのツール(アウトライナーなど)についても話し合われていて、一個も知らなかったので、紹介されていたアウトライナーのハウトゥー本を読んでみようかな。

書くこと、もとい、「書いてしまうこと」にはある種の「諦め」や「ここまで(にやれ)」という制約が必要だっていうこととか、読書猿氏の自分の「無能さ」でフィルターにかけるとか(読書猿氏ほど有能感漂う人なんてそういないので、氏に「己の無能さ」などと言われると「おふっ」となる。宇宙は広大だ。私はちっぽけだ)、書くことやその最終産物の理想が高くなってしまう完成させたくない病を祓っていくスタイルは何かを生み出すときに必須だよなあと思ったり。手に負えなくなったものは捨てて、自分に書ける範囲のものを残していく。だいじ。山内朋樹氏の庭の石組みの話もなんかすごいなって思った。庭を作る時、はじめに庭にでかい石なんか置いたらもう取り返しがつかなくて、その取り返しのつかないところから庭が生まれていく。とにかくそうして初めてみて、ここにこの石あるなら次はこうかなって、取り返しのつかなさが自生的に連鎖していくんだと。はじめに置いた石が気に入らなければ後から初手を省いてしまえばいいと。読書猿氏の無能さによるフィルタリングとも通じてるなとも思って、至言の玉手箱や〜。しかし半分くらいまで読んで一番びっくりしたのは読書猿氏に本業があることかな。スゴすぎない。どうなってやがる。きっと本業の方でもかなり名をあげている人なんじゃないかって思うね。

そんなわけで「ライティングの哲学」を読みはじめて、だからこの日記も、ハードルは絶対にあげないほうがいいなって思うね。こんな感じでだらだらなんでもいいから書こうっていう姿勢から、今日読んだ本の感想とか割と正直に考えたことがこんなに出てくる。さあ感想を書きましょう、私はこんなに読めてますっていうことを書かなきゃあとか思ったら一文字も書けないのじゃないかなあ。なんかカッコつけたものになってしまったりもするかもしれない。読みながら連想することとかをマメにダダ漏れさせて残していければそれもいいのかもしれないけど、スピード感が損なわれるというか読んでいるときにめんどくさいことしたくないっていうのがあって、そもそも読書が好きだから、読書の楽しさを実況的に残すことでめんどくさくなったり楽しくなくなっちゃったら良くないよね。まあでもできそうな時はそういうこともやっていきたい。

今日も眠いよ、とか言って、本当に眠いのかどうかもわからなくなったよ。今日は寝付けるかな? 限界が来てからお布団に入ろう。そして絶対に触るな起こすなと言いたいのを我慢。まあ今日は多少気を遣ってくれるだろう。