読書とカフェの日々

読書感想文と日記

読書記録:多和田葉子『地球にちりばめられて』

多和田葉子の『地球にちりばめられて』を読んだ。

そして早速、続編『星に仄めかされて』を読みはじめたところ。本作は長編三部作の第一弾なんだけど、そうとは知らずに読みはじめた。結果としてそれがとても良かった。三部作とか知っていると怯んでしまったかもしれないけど、続きを楽しみにできる作品というのはその存在だけでもいいものだと思う。続編は『星に仄めかされて』『太陽諸島』で三部作完結となる。完結編はまだ文庫化されていない。できれば同じ判型で揃えたいけど、この調子では我慢できないかもしれない

あらすじ

留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、大陸で生き抜くため、独自の言語〈パンスカ〉をつくり出した。テレビに出演したHirukoを観て、言語学を研究する青年クヌートは放送局に電話をかける。意気投合したふたりは、世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を探す旅に出る。(文庫裏表紙のあらすじを引用)

物語は章ごとに語り手が変わり、登場人物それぞれの視点や来歴が語られながら進んでいく。出会いが出会いを呼び、Hirukoの旅に目的と彩りが重ねられていく。

読みどころ①:「鮨の国」設定のおかしみ

Hirukoの故郷の島国とはおそらく日本のことで、母語は日本語だとすぐにわかるが作中では「鮨の国」とされている。この「鮨の国」は現実の日本と少し違うみたいなんだけど、日本を外から見た時の異質さをカリカチュア的に描いたものなのかもしれない。ハイテクな土地柄で降雪地帯でも雪は積もらず、首都部は人口が密集していて「乗客の背中を押して電車に無理につめこむ専門職」があり、満員電車の中で立ったまま寝る人もいる(これは事実かもしれない)とか、映像の中の世界と現実の世界の区別がつかないとか、性ホルモンが消滅して男女の区別すらなくなっていたりする。ムーミンもかつて日本に亡命していたらしい(これは登場人物のウィットかもしれない)。

読みどころ②:言語のきらめき・ときめきが細部までぎっしり!

Hirukoはスウェーデンに留学中に母国が消滅してしまい、スカンジナビアを流浪することになった。デンマークで仕事にありつき、移民の子どもたちにメルヘンを通してヨーロッパを知ってもらうためのメルヘン・センターで働いているという設定だ。Hiukoがメルヘン・センターの仕事でオリジナルの童話や日本の昔話の翻訳版を作るエピソードがすごくとても面白い。
Hirukoの創作童話紙芝居「たまごちごち」が最高に楽しくてユニークだ! 親鳥がたまごの殻を固くするためにサプリメントを飲んだので、殻が硬くなりすぎて生まれてくることができない雷鳥の雛の話。親鳥はブルーバード(ニワトリのかかるうつ病)になって入院してしまった。たまごちごちは雷鳥が生み出す電気で、殻の表面に電光掲示板のように文字を表示して外部との通信をはじめる。「たまごちごち」という名前の独特なかわいらしさ。たまご+ゴチゴチなんだろうけど、全部ひらがなにすることで語感と視覚的イメージの妙がある。言葉の意味の取り方で縦横無尽に展開していく語りの遊び心に痺れる。
昔話の翻訳バージョンももっともっと読んでいたかった。狸と狐の「ばけくらべ」「メタモルポーセース・オリンピック」と訳出したり、「鶴の恩返し」の「恩返し」部分の訳に悩んで、「鶴のありがとう」にしたり。鶴女房が機織りをするエピソードはよく考えてみると疑問があるので、羽を抜いてダウンジャケットをつくることにしたとか楽しすぎない? こんな細部の遊びが全編通してぎっしり詰まっていて、それだけでもずんずん読んでいける。

まとめと感想

Hirukoは母語を共有する人と久しぶりに話してみたい、それが現実にあったものだと確かめたいという気持ちで旅をはじめる。旅をする中で乗客が次第に増えていく。登場人物たちが同じレヴェルで理解し使用できる共通の言語はないのだけど、わかりあえる可能性はどの言語で話すかではなく、誰と何を共有できるかにかかっているんじゃないか。何かが伝わった瞬間の嬉しさが、自分の心と相手の心を結ぶ運河となるのではないか。

そして言語の使い分けかたも面白く描かれている。サピア=ウォーフ仮説って色々の注釈が入ってほぼ否定されているみたいな感じだけど(私の知識は『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』ハヤカワ文庫NFによる)、多言語話者がそれぞれの言語に違ったペルソナを振り分けるっているのはすごくあるような気がする。

Hirukoと仲間たちの旅を通して言葉のきらめきとワンダーが電流となって言語中枢を駆け巡り、神経ネットワークに大輪の花が咲いた。